貴志川線の歴史 1 ※山東軽便から和歌山鉄道時代 (〜1961年10月31日)
年号 出来事
1885年(明治18)
12月29日
 南海電鉄の前身となる阪堺鉄道により難波-大和川間を開業。
1898年(明治31)  紀和鉄道により和歌山(現紀和)-船戸(仮駅)間を開通。(現JR和歌山線)
1903年(明治36)
3月21日
 紀ノ川橋梁完成により南海鉄道(現南海電鉄)の難波-和歌山市間全通。
 同時に紀和鉄道(現JR和歌山線)への直通のため、和歌山(現紀和)-和歌山市間の連絡線を開業。
1909年(明治42)
1月23日
 和歌山水力電気により和歌山市内電車(路面電車) 県庁前-和歌浦口間を開業。
絵葉書で見る当時の京橋付近の風景
昭和初期の合同電気時代のもの。京橋付近
1911年(明治44)
11月21日
 南海鉄道全線電化。
1913年(大正2)
4月1日
 和歌山(現紀和)-山東(現伊太祁曽)間免許取得。
1914年(大正3)
1月1日
 南海加太線の前身となる加太軽便鉄道により加太-和歌山口間開通。
1914年(大正3)
6月12日
 貴志川線の前身となる山東軽便鉄道会社創立。
1915年(大正4)
5月28日
 有田鉄道(会社設立時は有田軽便鉄道)により湯浅海岸-下津野間開業。
1916年(大正5)
2月4日
 野上電鉄の前身となる野上軽便鉄道が当初より電化で開業。(日方-紀伊野上間)
1916年(大正5)
2月15日
山東軽便蒸機1号機
山東軽便蒸機1号機
 大橋(和歌川に架かる大橋の東側)-山東(現伊太祁曽)間 (8.2キロ) 蒸気列車での営業運転開始する。
1917年(大正6)
3月16日
 中之島(現紀和と紀伊中之島の中間付近)-大橋間開通により、国鉄線との連絡ができるようになる。
1922年(大正11)
7月
 国鉄紀勢西線開通にともない線路を横切ることになるため中之島−田中口間を廃止し、阪和電鉄との直通のために新しく開設された東和歌山(現和歌山)までの路線を新設し、東和歌山を起点に変更する。
1924年(大正13)
2月28日
 紀勢西線 和歌山(現紀和)-日方(現海南)間が開通。
 途中に東和歌山駅(現和歌山)開業。
1929年(昭和4)
11月
 山東軽便鉄道から山東鉄道に改称し、ガソリン動車を導入。
1930年(昭和5)
6月16日
 阪和電気鉄道により阪和天王寺-東和歌山間全線開通。
1931年(昭和6)
4月23日
 山東鉄道から和歌山鉄道に改称する。
1933年(昭和8)
8月18日
大池遊園の橋梁建設当時の記念写真
大池遊園の橋梁建設当時の記念写真
(花田屋様所蔵)
 旧山東を伊太祁曽に改称し、伊太祁曽-貴志間を開業。
1940年(昭和15)
12月1日
 阪和電鉄(現JR阪和線)が南海鉄道(現 南海電鉄)に合併され、現 JR阪和線は『南海 山手線』となる。
1941年(昭和16)
12月
 大戦中の燃料入手難から電化を計画。まず東和歌山-伊太祁曽間を電化。
1942年(昭和17)
12月
 伊太祁曽-大池間を電化。
1943年(昭和18)
12月
 大池-貴志間を電化。
1944年(昭和19)
5月1日
 南海山手線(現JR阪和線)が第二次世界大戦国の輸送体制強化のため国有化され『国鉄 阪和線』となる。
1957年(昭和32)
11月1日
 和歌山鉄道が和歌山電気軌道に合併され、和歌山電気軌道鉄道線に改称。
1961年(昭和36)
11月1日
 和歌山電気軌道が南海電鉄に合併され、南海貴志川線に改称。