貴志川線を探検しよう!blog知ってるつもりの更新を優先しているためこちらの更新が遅れています。申しわけないです。
貴志川線の概要

 わかやま電鉄貴志川線は、1916年(大正5)前身となる山東軽便鉄道の開業から数えて90年(2006年現在)の歴史をもつ路線で、和歌山と貴志(紀の川市貴志川町)間14.3kmを結ぶ、軌間1067mm全線が電化された単線路線。

 和歌山駅でJR阪和線、和歌山線、紀勢線(きのくに線)と接続をするが、南海時代は南海本線線とは直接接続のない独立した路線を形成し、南海各線が架線電圧1500Vのなかで貴志川線だけが600V電化のままになっていた。 ダイヤは和歌山−貴志間を約30分間隔、約30分で走る各駅停車のみの運行で、朝夕のラッシュ時を中心に、和歌山−伊太祁曽間折り返しの区間列車があり、この区間は約15分間隔の運行になる。

 1995年3月までは、昭和初期に製造された古豪1201形が手入れよく、丁寧に使われ、吊り掛け独特のモーター音を高らかに走らせていたが、貴志川線近代化計画により南海高野線への新車投入により余剰になった22000系を貴志川線専用の2270系へと改新され、同年2月より順次貴志川線での運用を開始し、同年4月からは2270系2両編成によるワンマン運行が基本。

 1999年5月7日には、岡崎前駅-竃山駅間に南海貴志川線では十四番目となる新駅「交通センター前」駅が営業を開始した。「交通センター前」駅は、運転免許証の交付や更新などの手続きを行う県警交通センターへの交通手段として地元からの要望に対応するため、和歌山県(約1億円)と和歌山市(約5千万円)が建設費用を負担して建設された。

 沿線は田園風景の広がる典型的なローカル路線で、近年は住宅開発も進み沿線人口は着実に増えてはいるが、自動車の利用が多く利用者数も年間200万人を割るようになったたことや、南海電鉄の関空路線の伸び悩みによる経営不振により、2003年11月21日 突然南海電鉄は貴志川線廃線に向けて検討していると発表、2004年8月10日 撤退を正式に表明した。
 普通なら2005年9月末日をもって鉄道としての使命を終えることになところ、沿線住民の存続運動が実を結び、2006年4月からは岡山で路面電車などを運営する両備グループを母体に持つ『わかやま電鉄』へと引き継がれることが決まり、4月1日までは南海電鉄が引き続き運行することになり、 貴志川線は2006年2月15日開業90周年を迎えることになった。

 2005年11月からは順次新しい運転士の実技訓練が開始され、貴志川線初になる女性運転士や役員で現地責任者の常務自身が免許を取得すべく頑張っている風景を目にするようになった。 鉄道ファンでなくても興味のある新しい車両などのデザインは、岡山電気軌道やJR九州の特急列車などのデザインを手がけた水戸岡鋭治氏が担当。2006年3月末までは南海電鉄の所有・運行であることもあり、4月1日貴志駅一番列車で行われた出発式典ではテープカットに南海塗装にいちご列車のヘッドマークとラッピングされた2271編成が使用された。

 2006年4月1日、早朝5時から貴志駅でわかやま電鉄出発式が執り行われた。  早朝にも関わらず沿線住民やマスコミ関係者300名が見守る中テープカットが行われ、その後貴志川線初となる女性運転士による一番列車が招待客や一般客約150名を乗せ貴志駅を発車した。

 2006年3月18日の貴志川線運営委員会の会場で発表された、JR九州などの車両をデザインした水戸岡氏の手による「いちご電車」のお披露目が2006年8月6日第一回貴志川線祭で開催された。
 2007年7月26日には、和歌山県海南市にあるおもちゃ販売会社T.J Grosnetがビッグサポーターとして和歌山電鐵とのコラボ企画「おもちゃ電車」に改造、営業運転を開始した。

 地域住民や電鉄会社のきめ細かい営業活動やイベントなどが功を奏し、年間200万人を超える利用者数に改善されているが、老朽化した変電設備(日前宮駅・伊太祁曽駅・甘露寺前駅)や線路状態の修正、伊太祁曽駅以遠の増便のための大池遊園駅の行き違い設備の復活など、課題も山積みされている。