私の紹介
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プロフィール

趣味
  • パソコン
     MCP(Microsoft Certified Professional)の資格を持ってまして、はっきり云って飯の種であります。

  •  私の住んでいる和歌山は交通の便が悪く、車がないとなかなか自由に移動はできません。自然と車との付き合いが多くなります。
     現在の愛車はプジョー407SW。2001年からレガシィB4 RSK乗っていましたが5%の快楽のために日常普段の95%は我慢が必要な疲れる車でした。 セダンやミニバンだと国産車で良かったのですが、使い勝手の良い魅力のあるワゴン車が欲しく、2006年初めての輸入車購入となりました。
     2001年1月に妻用にセカンドカーとしてプレオ ニコットを購入しましたが、この頃のスバルが一番良かったように思います。
  • アマチュア無線
     コールサインはJS3MNE
     リグ(無線機)とそこそこの空中線(アンテナ)が常置場所である海南市の実家にあります。 北に開けたロケーションと空中線のおかげで、430MHz/F3/10Wで豊中市・寝屋川市、京都市の各局とQSOが可能なのには驚きです。
     2002年念願の十二支達成し記念の楯を戴きました。 一言で12年といいますが、1年でもサボるとそれまでが無効になることを考えると、それなりに意義のあることと自負しています。

私と鉄道
  •  小学生の頃までは電車が好きで、たまに親に連れられ街に出かけるような時には、和歌山駅(当時はまだステーションデパートが新しく完成し、市電と呼ばれる市内電車も走っていたころで、和歌山駅を東和歌山と呼ぶ人もいた頃ですが、)で電車や貨物列車を眺めていたのが鉄道との出会いの始まりだと思います。
     今では滅多に耳にすることもなくなり今聞くと懐かしく感じるのですが、当時和歌山にも貨物列車が頻繁に走っていて電機の放つ甲高い汽笛が非常にやかましく感じ、汽笛が鳴るのが怖かった記憶があります。
  •  その後あまり電車にはそれほど興味はなくなっていたが、大学が寝屋川市(大阪府)だった関係で、4年間電車通学をすることになりました。朝1限目から授業に出るときは6時8分発の貴志川線に乗り、6時46分発だったと記憶にあるのですが国鉄(当時)阪和線に乗り継ぎ、大阪環状線、京阪電車の往復約4時間の電車通学を強いられました。冬場は日の出も遅く、和歌山を出る頃にようやく明るくなるという生活でした。

     さすがにこの時は鉄道ファンということはなかったが、どの位置に乗ればあの乗り心地の悪い103/113系でも多少は快適に座って乗れるのかとか、駅では階段に近いのはどこかなど、知恵は完璧に付きました。
     京阪電車の乗り心地のよい車両と複々線の豪快な並行走行、それとは対照的な貴志川線の当時1201形の雰囲気が今でも記憶に残ります。

  •  鉄道ファンになったきっかけは、1992年の「鉄道事情大研究」川島氏著からで、電車通学をしていたころの記憶と重なり合い、それまで潜んでいたものが爆発したようです。
     ちょうど貴志川線の1201形が廃車になる時期と重なったこともあり、マニアではありませんが鉄道ファンの仲間入りをすることになりました。