- 小学生の頃までは電車が好きで、たまに親に連れられ街に出かけるような時には、和歌山駅(当時はまだステーションデパートが新しく完成し、市電と呼ばれる市内電車も走っていたころで、和歌山駅を東和歌山と呼ぶ人もいた頃ですが、)で電車や貨物列車を眺めていたのが鉄道との出会いの始まりだと思います。
今では滅多に耳にすることもなくなり今聞くと懐かしく感じるのですが、当時和歌山にも貨物列車が頻繁に走っていて電機の放つ甲高い汽笛が非常にやかましく感じ、汽笛が鳴るのが怖かった記憶があります。
- その後あまり電車にはそれほど興味はなくなっていたが、大学が寝屋川市(大阪府)だった関係で、4年間電車通学をすることになりました。朝1限目から授業に出るときは6時8分発の貴志川線に乗り、6時46分発だったと記憶にあるのですが国鉄(当時)阪和線に乗り継ぎ、大阪環状線、京阪電車の往復約4時間の電車通学を強いられました。冬場は日の出も遅く、和歌山を出る頃にようやく明るくなるという生活でした。
さすがにこの時は鉄道ファンということはなかったが、どの位置に乗ればあの乗り心地の悪い103/113系でも多少は快適に座って乗れるのかとか、駅では階段に近いのはどこかなど、知恵は完璧に付きました。
京阪電車の乗り心地のよい車両と複々線の豪快な並行走行、それとは対照的な貴志川線の当時1201形の雰囲気が今でも記憶に残ります。
- 鉄道ファンになったきっかけは、1992年の「鉄道事情大研究」川島氏著からで、電車通学をしていたころの記憶と重なり合い、それまで潜んでいたものが爆発したようです。
ちょうど貴志川線の1201形が廃車になる時期と重なったこともあり、マニアではありませんが鉄道ファンの仲間入りをすることになりました。
|